ヒストリー

独日青少年協会(DJJG)は、独日協会連盟が企画した「ハロージャパン2005」プログラムの参加者によって2006年4月22日、フランクフル トにおいて設立されました。2008年2月現在、独日協会連盟には51の協会が所属し、7000名以上の会員と共に活動しています。協会のルーツは 1890年、日本の留学生とドイツの大学生がベルリンにおいて初の友好協会、「和独会」を設立したところまで遡ります。

独日青少年協会が現在までに企画運営したプログラムは下記の通りです。

  • ハロージャパン2014
  • ハロードイツ2013
  • ハロードイツ2010
  • ハロージャパン2009
  • ハロードイツ2008
  • ハロージャパン2007
    「日本におけるドイツ年2005/2006」、「ハロージャパン2005」に続いて、DJJGは第3回ユースサミットを含む「ハロージャパン2007」を企画しました。(2007年の活動参照)
  • ハロードイツ2006
    ハロージャパン2005の 参加者たちは2005年末にフランクフルトで行われた会合で、2006年も日独ユースサミットを開催し、日本の学生のために、独日協会の協力を得てイン ターンシップとホームステイ・プログラムを企画することを決定しました。(2006年の活動を参照) 2006年初めには独日青年協会(DJJG)が設立 され、この企画を推進していきました。

 

独日青少年協会が創立される前の、ハロードイツ/ジャパンの基盤となった独日協会連盟の青少年交流プログラムについては下記をご参照ください。

 

ホームステイ・プログラム

東京日独協会の希望により、各地の日独、独日協会が協力してホームステイ・プログラムが立ちあがったのは1989年4月でした。日独協会側の責任者はヨシダ会長、フジモト会長、オダ会長、ドイツ側はシュミット会長でした。

最初のうちは14歳から24歳の会員の子女を対象にホームステイを実施していました。その後対象年齢を17歳から27歳と広げ、参加者も増えていきました。日独の若者は3週間を日本、またはドイツの家庭で過ごしました。かかる費用は旅費とわずかな仲介料だけでした。

140 人のドイツ人と80人の日本人の若者がこの日独共同のプログラムを通じて異国を経験しました。体験記で彼らは、ホストファミリーのもとでの滞在と違う文化 を体験したことを大変楽しんだと報告しています。一生続くような友情も結ばれました。相手国への興味が一層かきたてられて、その後大学で語学を専攻した参 加者もたくさんいます。

シュミット会長とオダ会長が退任されたことにより、このプログラムは東京日独協会の主催ではなくなりました。栃木日独協会会長のハシモト教授が尽力なさいましたが存続しませんでした。


インターンシップ・プログラム

ハロー・ハノーファー万博 2000、 ハロー・愛知万博 瀬戸 2005

2000年に行われたハノーファー万博の主催者は世界中から5万人の若者を招待するという計画を立てました。ドイツ経営者連盟、商工会議所、ドイツ市議会、ライオンズクラブ、ロータリークラブなど38の連盟がこれに協力しました。

これを背景に独日協会連盟は「ドイツにおける日本年1999/2000」の一環として「ハロー・ハノーファー万博 2000、 ハロー・愛知万博  瀬戸 2005」を提案し、日独協会と協力して企画を進めていきました。シュレーダー首相は2000年に日本を訪問した際、この青少年プログラムの事を小 渕首相に伝えました。中曽根元首相はトップクラスの学生を集める、と日独協会に表明しました。200人から500人の日本人学生が万博を訪れるだけでな く、4週 間にわたってドイツの企業で実務体験をし、同時にドイツの家庭に滞在できるようにする、というのがその目的でした。これはブロックドルフ伯爵の提案でし た。伯爵は全プログラムに関わり、万博プログラムとベルリン、ポツダムへの旅行プログラムを実現させました。連邦政府はこのプログラムのために特別な労働 許可を発行しました。350マルクのフリーパスを買うことで、参加者は鉄道の切符4枚、万博の入場券、ハノーファーとベルリンでの宿泊、就業中の保険を得 る事ができました。独日協会は225のインターンシップ先企業とホストファミリーを用意しました。

イ ンターンシップ先企業は東京日独協会の要請通り、ドイツと日本の大企業(ボッシュ、コメルツ銀行、ダイムラークライスラー、フォルクスワーゲン、マツダ、 トヨタ)と機関(市の行政機関、州議会)などか選ばれました。その他にも独日協会はホストファミリーを手配し、週末の旅行を企画しました。フランクフルト 独日協会(シュテアー会長)は開会の挨拶と2日間にわたるガイダンス、そしてお別れ会を担当することを表明しました。170人の学生と万博見学、ドイツの 外務省と日本大使館への訪問、連邦議会の見学を行った3日間のベルリン、ポツダム旅行などが、プログラムを締めくくりました。

日独協会が派遣した5人の世話人たちがこの旅に同行しました。彼らはこのプログラム終了後にレポートを提出し、「ハロー・愛知万博 瀬戸 2005」(そしてハロージャパン2005)の参考にしました。

 

万博に関係なく行われたインターンシップ・プログラム

ベルリン独日協会のハーシュ博士が連盟の会長に就任した2001年 に、ベルリン日本大使館と日独協会連盟は、日本人学生を対象にドイツでのホームステイとインターンシップをもう再度企画してほしいと要請しました。シモム ラさんが退職された関係で東京の事務所だけでコーディネーションを担当することは不可能でした。そのためオダ会長はハシモト教授に協力を要請しました。

2001年にワイマールで行われた独日協会連盟の会議でこのインターシップ・プログラムが承認されました。ドイツ側のコーディネーションはノイエル トさんが担当することになりました。2002年には独日協会のほかに日本と姉妹都市関係にあるいくつかの都市もこのプログラムに参加することになりまし た。フランクフルトでのガイダンス、ベルリンとポツダムへの旅行など、2000年 に行われたのと同じ日程が組まれました。日本の大学からの大きな反響を受け、ドイツ側の担当者は定期的にプログラムを主催することにしました。2001年 から2004年にかけて360人の日本人学生がドイツを訪問し、44都市に散らばってホームステイとインターンシップを経験しました。

結 論として、ホームステイ・プログラムでは参加者はそれぞれのホストファミリーのもとで休暇のような形で観光を楽しみ、語学力を磨きましたが、インターシッ プ・プログラムでは青少年が実務体験、ホームステイ、週末旅行を通して、より幅広く現代のドイツを体験することを目的としました。同時に、彼らは日本の代 表として参加することを求められました。ドイツのホストファミリーと企業は日本人学生に好印象を持ち、長く続く友情関係が築かれました。多くの学生がホス トファミリーを再訪問しています。奨学金を得てドイツの大学に留学した学生もいます。参加者の多くがこの実務体験のおかげで職を得た、ということはプログ ラムの成果として重要な事実です。また参加者が日独青年協会という同窓会を東京で設立したことは注目に値するでしょう。この協会はドイツ大使館、 DAAD、在日ドイツ商工会議所と連係しています。

 

ハロージャパン 2005

「日本におけるドイツ年2005/2006」 と愛知万博をきっかけとして、独日協会連盟は特別プログラムを企画し、75人のドイツ人青少年と日本を訪問しました。ビーレフェルトの子供合唱団とドイツ スポーツ少年団が参加し、青少年交流会が最初の週に行われました。その内容は、日本語とドイツ語で万博のプレゼンテーション、富士登山、古くからの巡礼道 の舗装、日本スポーツ少年団との会合などです。2000年、2002年、2003年、2004年のインターンシップ・プログラムに参加した日本人学生も参 加し、第一回ユースサミットが東京で行われました。次の1週間は那須塩原で日本の伝統にひたり、3週間のインターンシップ・プログラムに移りまし た。(2005年の活動を参照)